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どーせなら隣同士の方が気楽だったのによォ、と頬杖をついてぼやく弟に、気色悪いことを抜かすなとその友人である金髪の青年が言った。綺麗な顔を盛大にしかめ、「お前みたいな動くだけでうるさい奴が隣だなんて冗談じゃあないぜ」と付け加えた金髪の青年に、動くだけでうるさい男と認定されてしまった青年、ジョセフ・ジョースターの兄―荒木ハイツ管理人ジョナサン・ジョースターは苦笑を浮かべた。
「そんなぁン、シーザーちゃんちょっと冷たいんじゃあないのォ?!折角この俺の紹介で格安家賃で住めるところ提供してやったっつーのにさ!」 相変わらず仲がいいなぁと呑気な感想を抱きながら、目の前でじゃれあっている(ようにジョナサンには見える)二人にジョナサンは付け加えた。 「あ、そうそう。二人の部屋の間にある部屋なんだけどね」 ため息交じりのジョナサンの言葉に、金髪の青年、シーザー・A・ツェペリは喰い付いた。 * 自分の部屋と同じ淡いクリーム色のドア横にあるインターホンを鳴らすと、中で人の動く気配がした。シーザーは内心でやっとか、と安堵の息をもらす。
入居の手続きを終え、引っ越しも済んで既に四日は経過していた。それなのにほんの数歩しか離れていない隣の部屋の住人と、シーザーはおろかジョセフもまだ顔を合わせたことがなかった。どうやらこの隣人はシーザーやジョセフとはかなり違う生活サイクルの持ち主らしい。 ジョナサンからは事前に二人が入居してくることは伝えてあるから、と言われたものの、きちんと会って是非挨拶をするのが隣人としての礼儀というものだ、とシーザーは思う。とりわけその隣人が、自分と同じ年頃の若い女性とあらば猶更だ。
挨拶用にと買い揃えた、真っ赤な薔薇の花束と一本のロゼ・ワイン、それからワインによく合うチーズまで腕に抱えてシーザーはドアが開くのを待った。 ガチャリ、とドアノブが回った。それを見てシーザーは軽く深呼吸をする。何事もまず第一印象が肝心だ。必要以上に仲良くなる必要はないが、これから隣同士で生活する以上、変なトラブルを起こすのは避けたい。 「……あの、どちら様ですか?」 チェーンをかけたままのドアの隙間から女性の声がした。一人暮らしの女性なら当然の対応である。ジョナサンの言うとおり、中々しっかりしたお嬢さんのようだ。 「驚かせてしまってすみません、シニョリーナ。四日前に隣に越してきました、シーザー・アントニオ・ツェペリといいます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」 よかったらこのチェーンを外して貴女の可愛らしい顔を見せてはくれませんか?と付け足しながらシーザーはドアを支える彼女の手に抜きだした薔薇を握らせる。 「ああ、ジョースターさんの言ってた……はい、ちょっと待ってください。今開けます」 どこか淡々とした口調で、彼女は一旦ドアを閉めた。チェーンを外す音を聞きながら、さらりと甘い言葉と甘い笑顔をスルーされたシーザーは内心で軽く動揺していた。 同時に、故郷で親しんだ懐かしい香りがふわりと鼻孔をくすぐった。 「初めまして、です。こちらこそご挨拶が遅れてしまって……あ、これ、どうもありがとうございます」 片手でドアノブを持ち、ぺこりと頭を下げるともう片方の手に持った、先ほどシーザーの握らせた薔薇を軽く持ち上げて彼女は言った。 そんな井出達だというのに目の前の彼女、はシーザーの目に、彼には馴染みの薄い清楚な女性に映った。話にだけ聞いていた、ジャッポネーゼに古くから伝わるといわれる『大和撫子』。 「え、いや……それ一本だけじゃなくて、その、これも、受け取ってくれると、嬉しいんだけど」 手渡した一本の薔薇だけが挨拶の品だとでもいうようなの口調に、シーザーは慌てて抱えていた薔薇の花束を差し出した。 「……」 まだ何かあるのか、とでも言いたげな視線がシーザーに突き刺さる。 おかしい。 彼の予定では花束を渡した時点で目の前の彼女はふんわりとその頬を桃色に染め、はにかんだ笑顔を浮かべているはずだった。そしておもむろに取り出したワインとチーズを差し出して、よければ二人の出会いを祝して乾杯なんてどう?とか言って二人でワイングラスを傾けている予定だったのだ。 と、計画していた流れを思い出したところでシーザーは、それからこれも、と慌てて失念していたワインのボトルとチーズの入った袋も差し出した。 「ロゼですね。こっちはモッツァレラとリコッタですか?さすが、本場の方はワインに合うチーズをよくご存じなんですね。あ、それにこのチーズ、駅前の専門店の!私もこの店のチーズ好きなんです、でも高くってなかなか手が出ないんですよね。嬉しい、ありがとうございます」 薔薇の花束を渡した時よりも明らかに高いテンションでワインボトルとチーズの袋を交互に見、まくしたてる彼女。先ほどまでのどこか固い表情が一気に緩み、口元には微かな笑みが乗っている。 「そうだ、ちょっと待ってください」 そんなシーザーの視線に気づいていないは、くるりと身を翻すと部屋の中へと戻っていく。声をかけるタイミングを完全に見失ったシーザーは、大人しく言われた通りその場で待った。 どこか酸っぱく、でもほのかに甘い、太陽のような香り。故郷イタリアで毎日嗅いでいた、そう、あれはまだ母が生きていた頃によく香っていた。 もう少しで思い出せる、喉下まで出かかっている記憶の糸を手繰り寄せていると、香りが一段と強くなった。 「昨日の残り物で申し訳ないんですけど」 小さな手提げ袋に小ぶりのタッパーを入れながらが戻ってくる。どうやらタッパーは一つだけではないらしい。ちらっと見えたのは赤。そしてまたあの馨しい香り。 「……トマト?」 手提げ袋を差し出しながら、は言う。懐かしい香りの正体はトマトだった。 「……?ツェペリさん?」 訝しげに姓を呼ばれてシーザーは喉の奥から絞り出すように言葉を紡ぐ。が首を傾げると、またトマトの香りが強くシーザーを刺激する。 「……トマト、好きなのか?」 好きです。そう言っては、はにかんだような笑顔を浮かべた。
自分は一目惚れなぞしないだろう、シーザーはずっとそう思っていた。 愁いを帯びた瞳の女性がいれば、飛んでいってその愁いを取り除きたいと思うし、泣いている女の子がいればその涙を指先で拭ってやりたいと思う。 「シーザー?」 名前を呼ばれて声のした方を振り向く。シンプルなデイバックを肩に提げ、驚いたような顔をしてまばらな人の群れの中、突っ立っているがいた。時刻は既に午後十一時をとっくに周り、午前に突入しようかとしていた。 お疲れ、と笑いながら彼女の元へと歩み寄る。背も高く、ブロンドにオリーブグリーンの瞳のシーザーは非常に目立つ。道行く女性が次々と振り向いて彼を熱い眼差しで見るが、シーザーはそんな視線には気づかない。真っ直ぐにの所まで行くと、肩にかかったデイバッグをするりと浚う。 「女性が一人でこんな時間に出歩くもんじゃあないぜ、って前に言っただろう?」 はいはいそうですね、でも私とシーザーじゃあ釣り合わないよ、などと暢気に笑う彼女に、シーザーは心の中でヘッドロックをぶちかまされてひっそりとへこんだ。 ツェペリさん、からシーザー、へと呼び方が変わるのに数か月を要し、さらに敬語が外れるまでさらに数か月かかった。 「」 さん、から始まり、、と名前を呼び捨てるのに数か月。ふとした時に笑顔を見れるようになるのにさらに数か月。 「今夜はの部屋でワインが飲みたいな」 の料理が食べたいんだ、と甘く囁いても彼女からは「いつも店で食べてるじゃない」という呆れたような返事。 「前にくれた、トマトのブルスケッタがいいな」 優しく笑んだ男の胸の内を、彼女ははたして知っているのか。じゃあ今日もトマト尽くしだね、と張り切るは、シーザーの心を一撃で打ち抜いたはにかんだ笑顔を彼に向けるのだった。 |
大和撫子、トマト日和
煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!/梨紗